出会わなければならないただ一人の人がいる。
それは私自身。
廣瀬杲[広瀬杲、ひろせ・たかし]
(仏教学者、大谷大学第21代学長、真宗大谷派講師、1924~2011)
『歎異抄のこころ』
下記 引用元:http://komyouji.com/hougocalender/2015-04.html
2015年4月 出会わねばならない ただひとりの人がいる それは私自身 法語カレンダー解説
私たちは自分のことは自分が一番よく知っているといいますが、意外に知らないこともあり、他からのはたらき、人からの指摘で自分の一面がわかることがあります。
ある人は、文章が必ずしも得意ではなかったのですが、講演依頼の手紙を書いたところ、その講師に手紙の文章を褒められました。あまりにも意外なことだったので驚いたとともに、手紙の書き方だけではなく、文章を書くことが苦にならなくなったといっていました。
この人は自分が思うほどにひどい文章を書いていたのではなかったのでしょうが、たまたま褒められたのを機に本来の力を発揮したのかもしれません。もちろん逆もあって、正しく自分のことを知らずに失敗を重ねていることもありそうです。
その点で自分のことを正しく知ることは大切なことです。
自分のことを正しく知って自分に出会うといっても、今月の言葉で廣瀬杲(ひろせたかし)師が説かれるのは趣が異なります。
私自身に出会った人
廣瀬杲師(一九二四~二〇一一)は京都市に誕生されました。一九五三(昭和二十八)年に大谷大学文学部真宗学科を卒業し、大谷大学教授、学長を歴任されました。師が大谷大学研究科を修了するときに大学に提出された論文は、後に『宿業と大悲-三願転入の考察-』(法蔵館)として出版されます。同書の序文に真宗学の泰斗、金子大榮師が「この書において、自分の徹底しえなかったものが明快にせられ、雑想していたものが純化されたよろこびを感ずる」といわれ「種々の点において、啓発された」と記されています。これらのことから師の学問的な力量は窺い知ることができます。『観経四帖疏講義(かんぎょうしじょうしょこうぎ)(全九巻)』(法蔵館)をはじめ、師の著述は多くあります。中でも『歎異抄(たんにしょう)』に関する著述が多く、四月の言葉も『真宗入門「歎異抄」のこころ』(東本願寺出版部)より採っています。
廣瀬師は「私自身」との出会いについて、次のように述べられます。
眼が眼自身を見ることができないように、人間は人間自身の正体を知ることができません。しかし知る能力を持った人間は、人間自身の正体を知らないままで過ごすことはできません。では何が人間自身の正体を知らせるのかといえば、如来よりたまわった信心の智慧であるとされ、この信心の智慧によって自分自身の正体を知らされることが自分自身との出会いであるとされます。また自分自身と出会って掛け値なしの自分が知らされ、そのことにうなずいて生きることが救いであるといわれます。それは縁に会った事実を受けとめて生きることであるといわれます。